足元に

2004年5月30日
小さい頃の思い出話。

家のすぐ裏にね。
天白川ってのがあるわけですよ。
あ、家の立地から判断すると表になるのか。
それはさておき

近所のガキども+ハイワッチの遊び場は、まだ建設中だった菅田橋の工事現場。
橋の上はまだ通れないけど、橋の裏側に木の板が渡してあって、下は転落防止のネットが張ってある。
そこに入り込んで木の板一本の橋を渡ったり、わざと落っこちてネットの上で飛び跳ねたり、今考えるととんでもないんだけど、当時は最高の遊び場だったんですよ。

天白川も当然遊び場でね
今思うと当時は泳いでも全然平気だったんだけど、その頃すでに数百m上流には下水処理場があったりするのだけど。
でも今よりずっときれいでね。
メダカ取ったりなぜか雷魚が死にそうになりながら流れてきたり、自分がスッポリ沈む深みに全員ではまって全員溺れそうになったり

思い出が一杯あるわけです。

中でも一番は、川を電柱が流れてきたことかな。
木製の電柱で、そのとき5人くらいいた仲間が全員またげるくらい。
もうみんなで大喜びでまたがって、それでも沈まない電柱。

「船だ!」
「ヤマトだ!」
「目標?」
「下流!行けるとこまで!」

ドンブラコドンブラコと流れに任せて進む電柱・・・。

ハンドルもついてて(上るときに掴む鉄の棒)丸いのに安定する。
それに気付いた対岸の小学校のグループが石を投げてきたので
針路変更して射程から逃れて対処したり

確か最後は、見知らぬおじちゃんに堤防から
「危ないから降りろ!」
みたいなことを言われたっけ。

電柱に別れを告げる一行
さらに下流に流れていく電柱

楽しさのあまり我を忘れていたが、帰りは歩いて帰らなければいけない。
でもあまりに楽しかったせいか、帰りの足取りも軽い。
ギャーギャー騒ぎながら
「また流れてこないかな〜」
とか言ってたっけ。
電柱が流れるなんて考えれば事件だがw

でもその時は大冒険だったそれも
実は辿り着いたのは数キロ下流の野並橋の先
車なら10分

自転車しか乗れない時代には川を渡るのも冒険で
正直近所のガキの誰もが、川の向こうを知らなかったんですよ。

今は車やバイクで移動するので
川は渡らなければならない障害みたいな感覚になってる。
朝は橋が渋滞でさっさと抜けたくて川がどうとか見ないし。

今は公園になっている場所も
当時は池
今はマンション立ってる場所も
当時は格好の遊び場な砂山

砂山の砂で池を埋めて
公園が出来て

橋が完成して
砂山だった場所はマンションや家や市営のグラウンドになって

見慣れた風景のはずなのに
見てない風景。

行動範囲の広がりとともに
こんなものも見てなかったのか

と、思うことばかり。

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