2月15日の日記

2004年2月15日
湧き出ずる
我は泉よ一筋に
流れて止まず一筋に
進む姿は我が今の
歩みの姿

小学校の校歌です。
1番から3番まであったのでどの番かは忘れました。
混ざってるかもしれません。
一番の思い出がある静岡の小学校の校歌
ここにいた時は全てが楽しかった。
でも親の仕事で来た場所で、名古屋に戻る日が来た。
すでに転校は3度目で、あまり感情が湧かなかった。
一番の友達とも、「また会おうね」くらいの挨拶で別れた。

名古屋に来て、少しいじめられた。
死のうとか、学校に行きたくないとか思うようなことでは全然無かった。
楽しみの一つだったサッカー部でも監督から干されて、確かに学校は楽しくなかった。

静岡の連れは、頻繁に手紙を送ってきた。
夏休み前に引っ越してから、暑中見舞い、残暑見舞い、クリスマス、年賀状・・・その間にもだ。
その連れはいじめられっ子だった。
いじめていたのは、暴力団のボスを親に持つガキ大将。
最近の報道とかでのような酷いいじめとかではない、せいぜい仲間外れにされるとか傍から見れば大したことは無いと思える程度。
大将とはすごく仲良くなって事務所に招待されたり(ぉ
ある日突然仲間から除外されたり
大将とその連れとの間に入って仲裁のようなことをした。
連れを守ってるような感覚だった。

頻繁に来る手紙に対し、僕はあまり返事をしなかった。

ある日、彼からTELが来た。
TELはちょこちょこと来ていたが、その日は様子が違った。
「そっちの学校は楽しいか?」
彼の質問はそれだけ
いじめられていた僕は、こいつだけには知られては・・・と思った。
「うん、友達も結構出来たし、楽しいよ」

彼はそれに反応せずに音を立てて電話を切った。

理解できなかった。

考えてみたら、その頻繁で日常を書き連ねるだけの手紙は、彼からのメッセージだったかも知れない。

「俺達のことは忘れたのか」と
言いたかったかも知れない。
もしかしたらもっと別の・・・。

それ以来、手紙も電話も一切来なくなった。
心配になった。
それにも関わらず、僕はこちらから連絡を取るようなことをしなかった。

もしかしたら、彼からのSOSだったのではなかったかと、ある日ハッとした。

電話はもう繋がらなかった。

それ以来ずっと気になっていて、真相が知りたくてバイクの免許を取ってすぐに大学の授業をサボって静岡まで行った。

彼の家はあったが、誰もいなかった。
待ったが結局誰も帰ってこなかった。

筆不精は今も変わらない。
また今年も年賀状を書かなかった。
もしかしたら誰かをまた傷つけているのではと
掃除中に彼からの手紙の束を発見して思った・・・。
 
 
 
 
自分だけしみじみしてしまってスマソ

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