昔話

2003年6月20日
稲本嫌いのHiwayとしましては・・・。
もう出てこなくていいです・・・。
一説には稲本右SB説も浮かんだり沈んだりしてるようですが、ど真ん中でミスを連発されるより端に追いやって攻撃参加のおいしいところだけいただこうというものでしょうか?

とりあえず
もっと自分の立場を考えろと言いたい・・・。
お前の仕事は何だと・・・。


Hiwayは小さい頃サッカーがやりたくてしかたがなかった。
静岡の小学校でサッカー部に入ろうと思った。
しかしその学校の部は県で1,2を争うチームで、親の反対もありあきらめ、町内会のソフトボールクラブに入った。
ソフトボールもちょうど同年代のメンバーが強くて、市で2強のうちの一つだった。
ちなみに7番レフト、守備の要だが打撃は期待されず。

しかしそこはさすが静岡県
サッカーをする環境には困らなかった。
家の裏の工業高校のハンドボールコートが、近所のガキどものサッカー場だった。
グランドは授業・部活動がないときは授業中に使っていても怒られなかった。
さすがに運動場で父親のドライバー持ち出してゴルフボールをグランドの端から反対側まで飛ばしたときは家まで訪問されたが・・・。

同じ社宅に住むガキ同士でチームが出来た。
朝から晩までサッカー
日曜だけソフトボール
利き腕を骨折してもサッカーは出来た。
校内のミニサッカー大会で部の選抜を破って優勝した。
部からもそのメンバー全員に入部の誘いが来た。
その仲間の中には今、元日本代表で磐田のDFやってる奴もいた。
その頃はひょろひょろでまさかあそこまで上り詰めるとは思っていなかった。
―まぁ単なる同姓同名で顔がそっくりというだけで、本人であるという確認は取れてないが―


でもサッカー部には入れなかった。
親の転勤で名古屋に戻った。
名古屋では絶対サッカーをやろうと思っていた。

名古屋の小学校の部は、夏をソフト、冬をサッカーという体制だった。

そのサッカーの部に切り替わる時に入部した。
6年生しかいなかった。
まずは基礎から練習
板を使っての壁パス
リフティング
シュート

だるかった

まともに基礎をやっていないので、リフティングは20回行くかどうかだった。

一月後にレギュラー試験
僕は風邪で3日間寝込んでいた。
その初日に日にちの告知
3日目が試験
やっと治って部に顔を出した日がメンバー発表

僕のユニフォームはなかった。

何人かはその発表に抗議してくれた。
しかし監督は一言
「試験の日に出てこない奴はいらん」
涙が出そうだった。

でもサッカーが好きだった。
何とかして認めてもらおうと必死になった。
練習のコーナーキックを、本来の役の人から奪い取って蹴った。
偶然だが、ドンピシャで味方DFの頭に合わせた。
弱小チームでCKで浮き球を蹴れるのは一人だけだった。
それから練習ではCKの担当になった。

ポジションは補欠チームの3-4-3の左サイドハーフ
一人しかいないレフティーが3トップの左で、僕は左でも蹴れるということでその位置になった。

僕は「10番」のストライカーと仲がよく、練習ではトップでコンビを組んでいた。
いわゆるガキ大将な彼は、キャプテンでもあった。
彼のキープ力と突破はかなりのもので、一人でも打開できるのだが、敵が詰めてくると必ずこちらに球が来た。
それをダイレクトで返すと、そこにはディフェンスを抜けたそいつがいて、ゴールを陥れる。

得点の黄金パターンとなった。
単なるワンツーではなく、そいつと話し合ってフラッシュパスとか言われる類の、大空翼と岬太郎が魅せるアレもやってみた。

これが監督の逆鱗に触れた。

「お前のポジションはどこだ?」
「その位置にお前が来る可能性はない」
「さっさと自分のポジションにつけ」

従うしかなかった。
相棒の10番は抗議したがこの監督は耳を貸さず、10番もしばらくベンチだった。

転校生が来た
全国大会にも出場したことのある奴だった。
そいつとも仲良くなったのだが、そいつのポジションは「10番」との2トップになり、レフティーがSHに下がり、僕の居場所はなくなった。
その転校生は典型的なストライカーで、トップ2人のパス交換は皆無だった。
得点はどちらかの個人技になった。

練習試合の空いた時間で2軍戦をやった。
補欠とユニフォームのないメンバーのチーム
今で言う左ボランチくらいの位置で出た。
ミドルを一本決めた。

しかし2失点で負けた。
一点は僕のミスだった。

監督は言った

「今日のお前のポジションは守備だったはずだ」
「まずは自分の仕事をしろ」

子供心にも、もうだめだと思った。

迎えた小学校最後の試合
1回戦は圧勝だったが、2回戦は連続優勝している強豪。
そこは一年を通してサッカーをやっているチーム・・・。
散々だった。
トップ2人が完全に抑えられ、どうにか上げた得点は相手のGKが接触で骨折して代わったGKのミスからだった。

その1点を取るまでに味方は3点取られた。

最後まで、Hiwayの着るユニフォームはなかった。

試合が終わって戻ってきたチームメイトは泣いていた。

僕は泣くことも許されなかった。
泣く環境になかった。
そのチームは僕のチームではなかった。

最後に、10番がボールを持って監督の側に歩いていった。

奴は、そのボールを監督めがけ思いっきり蹴りつけた。
その行為が何を意図していたかは聞いていない。

ただ、自分の中で、監督の僕に対する仕打ちへの抗議として今も脳裏に焼きついている。

中学に入ってからもサッカー部に誘ってくれたのは「奴」だった。
断った。
その時はもうサッカーを見たくもなかった。
もう一度「奴」に会いたかったかな・・・。
もう会えないんだけどね・・・。

その後、四中工の小倉隆史が姿を現すまで、全くといっていいほどサッカーに興味を示さなかった。

サッカーを「観るもの」と割り切れるようになったのはJリーグが始まってからだった。
最近になって、海外も見るようになった。
だからマラドーナのプレイは一切知らない。
名古屋にリネカーと言われてもピンと来なかった。


「サッカーって楽しいな」ってやっと思えるようになった。

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